ボーイズクラス、ラスト・レッスン(涙) [バレエ]
「何事も出会いがあれば別れがある。始まりがあれば終わりがある」と私がブログに書いたの
は2007年8月、M市のジャズダンス教室の新スタジオをはじめて訪れた時だった。
それまでは隣町の貸しスタジオでレッスンしていたのが、先生晴れて自分のスタジオを持つこと
が出来て、改装されたばかりのスタジオを訪れた時、私はこれで以前の職場があった隣町とつい
に縁が切れたんだと感慨深く悟ったのだった。
そして自分は一体いつまでこのスタジオに通い続けるのだろう?と思ったのでした。
別れは思いの他早くやってきて、その後自宅保管してた舞台衣装を郵送で返還した際やっぱり
これでこのスタジオと縁が切れたんだと感慨深く悟った。
実はこのスタジオ、今年移転しているんです。先生のインスタでは「廃業ではありません」
って書いてあったけど、せっかく手に入れた自分の城をどうして手放すことになったのだろう?
その後も新スタジオ借りてレッスン続けているようだけど、それが都落ちなのか栄転なのか私は
行ってないのでわからない。それよかせっかく結婚した年下の旦那さんとも風の便りで離婚した
と聞き、、、先生が結婚する時、先生でかした!って思った私としてはなんてもったいないこと
を、、、と感じてしまったのでした。
キャサリン先生とは今では猫つながりでインスタでつながってます。
なので先生は私が今バレエ続けていることは知っています。
そして今回の別れはローズマリーバレエ教室です。
昨日、息子のボーイズクラスのラストレッスンでした。お世話になった先生にお礼を言うために、
それからケーキを頂くというのでくだものを差し入れるために私も久しぶりに教室に行きました。
私自身が9年も通った教室だったので、本当に懐かしかった。
先生の教室は古色蒼然としていて、思い出のものであふれていました。
fushuさんのトウシューズのリースに舞台の写真(私も映ってた)、息子たちのバックステージ
写真、それから「これはもしかして?」と気が付いたのが以前「仮面舞踏会」を振り付けて頂い
た時、先生に大人クラスからお礼にとプレゼントしたバレリーナの置物(上の写真↑)あの時は
振付の時点で先生と色々とやりあってしまい、プレゼントのお礼もなかったのできっと怒ってい
るんだろうなと思っていたけど、きちんとスタジオに飾ってありました。
うん私が先生のイメージで選んだだけあってとってもステキ♪
その後、私が他の教室の発表会に出るためにこちらの発表会に出ないと言ったことがきっかけで、
それまで私が欠かすことなく通っていた金曜クラスをやめると宣言され、事実上破門されてしま
いました(爆)
M市のキャサリン先生もバレエのK先生も来る者拒まず、去る者追わずなスタンスだったので、
私的には想定外の出来事でした。
それでも先生は息子たちボーイズクラスは本当に可愛がって育ててくれました。本当に涙が出る
くらい、感謝しています。先生、ほんとはシティの男性ダンサーに教えにきてもうらうよう交渉
して下さったのだけど、それもいつの間にか立ち消えになり、ひとりで一生懸命二人の男子(先生
のお孫さんとうちの息子)を指導してくれました。
高齢の先生が慣れないCDデッキを扱いながら、けして腰掛けることなくお手本を見せて指導する
のは本当にエネルギーがいることだったろうと思う。しかも先生は60代で大きな病気をしていて
いつ再発しても覚悟はできていると口癖のように言っていた。
この教室には先生が育てた生徒たちが社会人となり主婦となっても通っていて、発表会では若い
彼女たちが大活躍するのです。どの教室も20代~30代のダンサーとしてもっとも旬な生徒が
不足しているなか、この教室はゲスト呼ばなくても彼女たちでメインキャストが構成できた。
おかげで私たち大人クラスはいつまでたっても壁の花だったわけですが、、(汗)
昨日、久しぶりに教室に佇んでいたら、そんなこんな思い出が走馬灯のようによみがえってきま
した。私のトウシューズを履きたいという願いをかなえてくれた場所。
先生の創作バレエ「仮面舞踏会」をみんなで練習したこと。
ミャンマーに転勤中のメンバーに振付の動画を毎回送ったこと。
それから初めてのボーイズクラスのレッスンの日のこと→☆
高学年男子3人で踊った初舞台「トレパック」。
息子と最初で最後の親子共演となった『眠りの森の美女』。の「長靴を履いた猫」。
1年後に自分が同じ会場で踊ることになった『ナポリ』。の「タランテラ」。
初めてのソロ、『ラ・シルフィード』の「ジェームズのバリエーション」。
初めてのパ・ド・ドゥ「ゼンツァーノの花祭り」。『コッペリア』の「戦いの踊り」。
本当にどの舞台も先生の指導が行き届いていて、かつ息子もそれを忠実に守って踊っていてとても
微笑ましかった。特に、「ナポリ」以来一緒に踊っている、幼稚園時代の幼馴染男女4人のメンバ
ーがとてもお似合いで、やっぱり微笑ましかった♡
可愛い人たち
、、、今は哀惜の念に襲われています。先生もきっとそうだろうな。こんなに長く続けた男子は
いなかっただろうから。中学受験、中学・高校での部活とも両立させて発表会にも出たのだから、
本当によくやった。発表会後にフェイドアウトしてしまうケースが多い中、息子はきちっと自分
から私と先生に引退宣言をしました。そして年末の昨日、一緒に踊った女の子たちも集まって
ラスト・レッスン&クリスマス会(お別れ会?)をして頂き、よい締めくくりができました
彼女たちも来年は受験生なわけだけど、バレエはずっと続けて欲しいな。そして息子たちとは
ラインでつながっていて欲しいな。「今度会うのは成人式」と言ってお別れしたそうですが、
地元のお友達は大事よ。
これでこのスタジオともさようならなんだなあって、やはり感慨深く悟りました。
2008年年末に幼稚園つながりで先生と出会い、このスタジオを訪れてから実に12年!!
→☆
幸い先生とは教会でつながっています。先生自身は高齢で今までもずっと「あと1年」「これが
最後の舞台」と言い続けて来たので、もし教室を閉じることがあっても教会で会えたら嬉しい。
そして息子はバレエやめると言わずにチャイニーズスタジオに来てくれたらいいと思う。
近所だし、男の先生だし、チケット無期限だし。
そう考えてもうこれ以上、懐かしまないようにしよう。このブログを遡っていてボーイズクラスの
記事を読むと哀惜の念に襲われるので、今日の気持ちを言葉にしたら、新しい未来、新しい出会い
について考えようと思う。
、、、けしてステージママではないって言ってきたけど、どれほど息子たちが踊る姿を楽しみに
してきたか、、、思いのほかダメージが大きくて、、色々耐えてます(泣)部活も全然見に行け
ないし、あれほど顔出していた中学と違って高校は親の出番がなくて、、、このまま卒業かと思
うと寂しすぎる。来年は学校行事に顔出したい。他のお母さんとも会いたい。
来年は再会の年となりますように(祈)
は2007年8月、M市のジャズダンス教室の新スタジオをはじめて訪れた時だった。
それまでは隣町の貸しスタジオでレッスンしていたのが、先生晴れて自分のスタジオを持つこと
が出来て、改装されたばかりのスタジオを訪れた時、私はこれで以前の職場があった隣町とつい
に縁が切れたんだと感慨深く悟ったのだった。
そして自分は一体いつまでこのスタジオに通い続けるのだろう?と思ったのでした。
別れは思いの他早くやってきて、その後自宅保管してた舞台衣装を郵送で返還した際やっぱり
これでこのスタジオと縁が切れたんだと感慨深く悟った。
実はこのスタジオ、今年移転しているんです。先生のインスタでは「廃業ではありません」
って書いてあったけど、せっかく手に入れた自分の城をどうして手放すことになったのだろう?
その後も新スタジオ借りてレッスン続けているようだけど、それが都落ちなのか栄転なのか私は
行ってないのでわからない。それよかせっかく結婚した年下の旦那さんとも風の便りで離婚した
と聞き、、、先生が結婚する時、先生でかした!って思った私としてはなんてもったいないこと
を、、、と感じてしまったのでした。
キャサリン先生とは今では猫つながりでインスタでつながってます。
なので先生は私が今バレエ続けていることは知っています。
そして今回の別れはローズマリーバレエ教室です。
昨日、息子のボーイズクラスのラストレッスンでした。お世話になった先生にお礼を言うために、
それからケーキを頂くというのでくだものを差し入れるために私も久しぶりに教室に行きました。
私自身が9年も通った教室だったので、本当に懐かしかった。
先生の教室は古色蒼然としていて、思い出のものであふれていました。
fushuさんのトウシューズのリースに舞台の写真(私も映ってた)、息子たちのバックステージ
写真、それから「これはもしかして?」と気が付いたのが以前「仮面舞踏会」を振り付けて頂い
た時、先生に大人クラスからお礼にとプレゼントしたバレリーナの置物(上の写真↑)あの時は
振付の時点で先生と色々とやりあってしまい、プレゼントのお礼もなかったのできっと怒ってい
るんだろうなと思っていたけど、きちんとスタジオに飾ってありました。
うん私が先生のイメージで選んだだけあってとってもステキ♪
その後、私が他の教室の発表会に出るためにこちらの発表会に出ないと言ったことがきっかけで、
それまで私が欠かすことなく通っていた金曜クラスをやめると宣言され、事実上破門されてしま
いました(爆)
M市のキャサリン先生もバレエのK先生も来る者拒まず、去る者追わずなスタンスだったので、
私的には想定外の出来事でした。
それでも先生は息子たちボーイズクラスは本当に可愛がって育ててくれました。本当に涙が出る
くらい、感謝しています。先生、ほんとはシティの男性ダンサーに教えにきてもうらうよう交渉
して下さったのだけど、それもいつの間にか立ち消えになり、ひとりで一生懸命二人の男子(先生
のお孫さんとうちの息子)を指導してくれました。
高齢の先生が慣れないCDデッキを扱いながら、けして腰掛けることなくお手本を見せて指導する
のは本当にエネルギーがいることだったろうと思う。しかも先生は60代で大きな病気をしていて
いつ再発しても覚悟はできていると口癖のように言っていた。
この教室には先生が育てた生徒たちが社会人となり主婦となっても通っていて、発表会では若い
彼女たちが大活躍するのです。どの教室も20代~30代のダンサーとしてもっとも旬な生徒が
不足しているなか、この教室はゲスト呼ばなくても彼女たちでメインキャストが構成できた。
おかげで私たち大人クラスはいつまでたっても壁の花だったわけですが、、(汗)
昨日、久しぶりに教室に佇んでいたら、そんなこんな思い出が走馬灯のようによみがえってきま
した。私のトウシューズを履きたいという願いをかなえてくれた場所。
先生の創作バレエ「仮面舞踏会」をみんなで練習したこと。
ミャンマーに転勤中のメンバーに振付の動画を毎回送ったこと。
それから初めてのボーイズクラスのレッスンの日のこと→☆
高学年男子3人で踊った初舞台「トレパック」。
息子と最初で最後の親子共演となった『眠りの森の美女』。の「長靴を履いた猫」。
1年後に自分が同じ会場で踊ることになった『ナポリ』。の「タランテラ」。
初めてのソロ、『ラ・シルフィード』の「ジェームズのバリエーション」。
初めてのパ・ド・ドゥ「ゼンツァーノの花祭り」。『コッペリア』の「戦いの踊り」。
本当にどの舞台も先生の指導が行き届いていて、かつ息子もそれを忠実に守って踊っていてとても
微笑ましかった。特に、「ナポリ」以来一緒に踊っている、幼稚園時代の幼馴染男女4人のメンバ
ーがとてもお似合いで、やっぱり微笑ましかった♡
可愛い人たち
、、、今は哀惜の念に襲われています。先生もきっとそうだろうな。こんなに長く続けた男子は
いなかっただろうから。中学受験、中学・高校での部活とも両立させて発表会にも出たのだから、
本当によくやった。発表会後にフェイドアウトしてしまうケースが多い中、息子はきちっと自分
から私と先生に引退宣言をしました。そして年末の昨日、一緒に踊った女の子たちも集まって
ラスト・レッスン&クリスマス会(お別れ会?)をして頂き、よい締めくくりができました
彼女たちも来年は受験生なわけだけど、バレエはずっと続けて欲しいな。そして息子たちとは
ラインでつながっていて欲しいな。「今度会うのは成人式」と言ってお別れしたそうですが、
地元のお友達は大事よ。
これでこのスタジオともさようならなんだなあって、やはり感慨深く悟りました。
2008年年末に幼稚園つながりで先生と出会い、このスタジオを訪れてから実に12年!!
→☆
幸い先生とは教会でつながっています。先生自身は高齢で今までもずっと「あと1年」「これが
最後の舞台」と言い続けて来たので、もし教室を閉じることがあっても教会で会えたら嬉しい。
そして息子はバレエやめると言わずにチャイニーズスタジオに来てくれたらいいと思う。
近所だし、男の先生だし、チケット無期限だし。
そう考えてもうこれ以上、懐かしまないようにしよう。このブログを遡っていてボーイズクラスの
記事を読むと哀惜の念に襲われるので、今日の気持ちを言葉にしたら、新しい未来、新しい出会い
について考えようと思う。
、、、けしてステージママではないって言ってきたけど、どれほど息子たちが踊る姿を楽しみに
してきたか、、、思いのほかダメージが大きくて、、色々耐えてます(泣)部活も全然見に行け
ないし、あれほど顔出していた中学と違って高校は親の出番がなくて、、、このまま卒業かと思
うと寂しすぎる。来年は学校行事に顔出したい。他のお母さんとも会いたい。
来年は再会の年となりますように(祈)
2020-12-29 14:21
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