SSブログ

10年前何してた? [日常生活]

今年、ついに50代を迎えてしまいます。
今、私の人生における様々な年代越え?の時を思い出しています。
40代に突入した10年前は忘れもしない震災の年でした。

ブログにも詳しく書いているのでその頃の出来事は昨日のことのように覚えている。
私的にはその夏、10年続けたダンススタジオにさよならした事が大きな出来事だった。
36歳のとき再就職して仕事と発表会との両立に行き詰っていたころ、心が折れるよう
な出来事があってこのスタジオを離れたのだった。2001年から立ち続けた前進座での
ラストステージの事も昨日のことのように覚えている。ジョニーの追っかけしたり、
舞台に立ったりで30代は自分的には第二の青春だった。まさに「青春よさようなら(泣)」
な気持ちだった。(10年前のブログ参照)

30代に突入した20年前、私は大学職員として働いていた。図書館から教務課に異動
した後で図書館に戻りたくて悶々としていた。その頃旦那と一緒に訪れた上記のダンス
スタジオで、舞台の楽しさにハマった。30歳で初舞台、そして忘れもしない翌年の
発表会の4日前に妊娠発覚(汗)→退職と、30歳は激動の一年となりました。
、、、今から思うに、ダンス初めてすっごい汗かくようになって新陳代謝がよくなった
ことが妊娠につながったのかと、、ダンスしてなければ妊娠もなかったかもって思う。

さて、30年前の20代を迎えるころの私。短大の2年生だった私はすでにこの頃、学部への
編入を目指していて夏休みは就職活動せず、成人式の振袖もいらないからそのお金で
イギリス行きたいと親に申し出て、20歳の誕生日はイギリスで迎えたのでした!
忘れもしない1991年9月21日20歳になるその瞬間、私はスコットランド、エディンバラ城
の毎日午後1時に鳴るという大砲の音を聞いていた!思えばあのイギリス旅行こそ私にとって
の通過儀礼だった。灰色の10代からの決別。その半年後、2枠しかない学部編入の枠を13人で
競い、見事突破!挫折多き10代を送っていた私の初めての成功体験でした。
そして4年生の夏の就職活動では迷うことなく図書館司書を目指し、就職氷河期のなかM市の
大学図書館の司書職を探し当てた。20代の私は本当に頑張った。まさに今の私の土台を作った。
その職場は31歳で去ったけど、36歳で地元の図書館へ再就職したから夢はつないだ。
ダンスも39歳でM市のスタジオ去ったけれど、43歳で近所に大人中心の年中無休24時間営業!?
のスタジオが出来て、今も相変わらず舞台に立ち続けている。

思い返せばいつのときも”願っていればいつか叶う”を地で行く経験をしてきた。
今は「あと10年働けるのにこんな働き方じゃもったいない!」という焦燥感で日々悶々として
いるけれど、きっときっと解決策が見つかるはず。いつも渡りに船のようにタイムリーにその
機会が訪れたわけではなく、思わぬ形で自分にとっての理想形がやってきた。
何よりコロナ禍の今、ジタバタせずに家にいることは正しい選択だ。
おかけでバレエも人数の少ない昼クラスに週2回余裕でいけてる。

もちろん50代は40代や30代とは違うだろう。
はっきり言ってミドルシニア、もう若いとは言えない年代。でも話によると、ガクっとくるのは
後半かららしい(汗)多分それまでは結構元気に働いたり踊ったりできるんじゃないだろうか。
親も今日明日にどうこうということはなさそう。だからあまり50代を恐れないでいよう(笑)
っていうか今は一応まだ49なのであんまり早くから嘆くのやめよう。
なんか昨年岸本葉子さんの本を読みだしたあたりからすっかり気分は50代なのです。
親もとりあえず二人そろっているんだから介護という段階になるのはその先なはず。
、、、図書館にいるとついついいろんな本を手に取ってしまうんだよね。
んでついつい先回りして考えてしまう。病気とか老いとか介護とか。

40代になるときも随分悲観したけれど、40代は40代しか味わえない楽しいことがたくさんあった。
思い出すのは息子関連のことばかり。一人息子だけど、子供を育てる楽しさ全部味合わせてもらった。
親として晴れがましいこと全部体験させてもらった。(ブログ参照)
あ、私の息子じゃないけどリッポン君にも随分楽しませてもらった。フィギュアファンやってて
これほど報われる日がくるなんて、、(涙)って思ったよ。(3年前の今日のブログ参照)

、、だから私の誕生日は9月なんだって!まだ40代最後の夏があるんだって!(←まだ楽しむ気でいる)




コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。