SSブログ

ブルノンヴィルは大人バレエにぴったり! [バレエ]

発表会、無事おわりました。
いつものようにあれこれ心配したようなトラブルや失敗もなく。

IMG_20190727_140717_122.jpg



今回、自信をもって言えることはかなり練習したということ。
それも自主練半端なかった。
ナポリチーム6人は2月、雪チーム8人は4月の振り渡し以降、レッスン後の練習以外にも
予定を調整しては自主練、および先生をよんでの特訓をやりました。
その都度動画とってみんなで共有してあーでもないこーでもないとライン炎上してました(汗)
しまいには上手(かみて)チームだけのラインが分裂したりで、いや~ケンカ寸前になりながら
よくやったわ。


「ナポリ」に関して言うと、私のブルノンヴィルやりたいというリクエストに応じての演目だった
だけに楽しく、余裕を持って踊ることができました。
特に私の「テレシーナ」のバリエーションは難易度も低く、かなり早い段階から先生のお墨付き
をもらっていたので終始楽しく練習できたし、本番もお手本動画のイメージ通りに踊れた。
難しいステップがほとんどないバリエーションなので顔や腕、スカートの扱いに気を配る余裕があった。
前日の衣装付き通し稽古の時も他のメンバーから「すごくよかった」「かんどーしたよ」って
メールをもらったり、本番後の今日のレッスンでも「うちの母(バレエの先生!)がとても
キレイで目立っていたって言ってました」と話しかけられたり、バレエ冥利につきるお言葉(涙)
平日の五時半ということもありお客さんは今までになく少なく感じたし、会場が今回は地元の
文化会館でなく都内だったためかいつも来てくれる知り合いも来なかったりだったけど、何を
もって満足とするかだよね。バレエ関係者からのこれらの言葉は私的にはかなり報われた感じが
しました。

やっぱり演目選びってすごく大事だなって思った。自分にどんなキャラクターがあっているのか
客観的に知ることって大事。私は2015年発表会の「ポールとヴィルジニー」でこの時も先生に
すごくよかった言ってもらい、私自身踊っていて難易度的にも無理がなく、キャラクターも自分
にあってると感じたので”ブルノンヴィルは大人バレエに適している”と気づいたのです。

ブルノンヴィルとはなんぞやと言われると「デンマークの振付家ブルノンヴィルが手掛けた一連
の作品」のこので、「シルフィード」や「ナポリ」「ゼンツァーノの花祭り」などかなり限られた
作品を指します。でも踊りの特徴は歴然としています。まずアームスは常にアンナバーで固定。
あまりアンオーにはならない。そして足のステップが独特でブリゼやカトルなどとにかく足を打つ
スモールジャンプの連発。その代わり大きなジャンプやターン、マネージュなどの荒業がない!
パ・ド・ドゥでもリフトがない!難易度低いし運動量も少ない大人向きの演目なのです。
衣装はみなふんわりしたロマンティックチュチュか村娘風エプロン。
音楽はチャイコフスキーやミンクスのようなドラマティックな盛り上がりはなく、どれも似た
ような牧歌的、民族舞踊風なのどかな曲調。
でも自分のパンチのない踊りにはこのくらい単調な音楽が似合ってると自覚している。
チャイコフスキーの有名どころのバリエーションも、かっこいいジャズダンスの男ぶりも私
には向いてなかったけど、そういう欲張りさえしなければ自分に何が合ってるかが見えてくる。
それが3カ所目のこのバレエスタジオでやっと得た利点かも。色んなナンバーやらせて
もらって自分の向き不向き、得意不得意の分野がわかってきた。私が得意なのはアレグロ系
のスモールジャンプなんだよね。ブリゼとかバ・デ・シャ、ジュッテとかほとんど床に足をつく
ヒマがないような小技ジャンプ。逆にイタリアンフェッテとかピケマネージュとか主役の
パ・ド・ドゥには必ず入ってくる大技はできない。体も柔らかくないのでバランス系の力業が
あるアダージオも無理。踊るレパートリーはかなり限られてるのです。
だから群舞希望なんだけどね。今回はきちんとバリエーションがあってソロで踊れてしかも
本番も楽しく踊ることができて幸せな体験でした。


本番自体はトラブルなく終わったのですが、これも毎度のことですがその前後には色々あった。
前回も書いたけど、自分は出られなかったリハーサルの先生の差し入れ代請求されたり、
逆に私ともう一人のソリスト2人だけのリハーサルの先生の差し入れ代、差し入れ代
として前もって集金したお金から払ってもらえませんかってなかなか言い出せなかったり。
本番、私はメイクやお弁当の関係でずっと旦那の楽屋にいてお客さんからの差し入れ等ほとんど
回ってこなかったけど、お礼の賛同断れなかったこととか、、、
先生への差し入れ代は前もって集めなくてもいいと思う。そのリハーサルに出た人の有志で割れば。
楽屋への差し入れも実際食べてないし見てもいないので正直なんとも言えないのよ。
なんかラインの面倒くささ色々感じたな。「私そのリハーサル参加してません」とか
「私立て替えてます」「私その差し入れもらってません」とかラインでは言えないよね。
私言ってること変かな?旦那とかうちの父は私がそういう愚痴を言うとめちゃ怒るんだよね。
「おまえは自分を無にできないのか」って。

さてその父ですが、実は発表会前、ガンが発覚し私の発表会中検査入院、8月末に手術を受けること
となりました。この事実が発表会前にわかったことを内心感謝している。
いつも発表会後に色々ショックなことが起こってきたから、、(泣)
うちの母は昔昔の大昔からそいういう一大事があるとまず末っ子の私に報告してくるんだよね。
姉の病気の時もそうだった。それから何十年もたち、少しボケ?も始まった今でもやはり母は父の
病気が判明したその日に私に言いに来た。
いや本番直前だったけど、本番後よりはいいって思ったから本番は頑張ったよ。
そしてなんでも私に言いに来てくれることに、私がそういう存在でいられることに感謝したよ。

ただ、、、これは私も姉も感じてることなんだけど、一緒に暮らしてる兄はどーなんだ?ってこと。
なぜ兄には頼らない?母は私や姉に父の病気のことを話し「なるべくうちに来てね」と言い、父は父で
母が認知症かもしれないと心配していて「お母さんのこと頼んだよ」って言うのです。
両親のことはある程度は覚悟している。介護は私の職場もママ友たちもみ~んな現在進行形で経験してる
ことだから。私は実家が近い分、フルタイムでない分、役に立てると思っている。
でも兄の面倒までは見れないよ?兄の老後はどうなるの?仕事もアルバイト、結婚もしてなく一人暮らし
の経験もない兄の面倒はだれが見るの??その話は聞いてないよ私たち。
私、兄の夕食くらいは作ってあげてもいいし一緒に食事するのもいいと思ってる。兄弟だから。
兄は一時期より随分コミュニケーションとりやすい性格になってきていると思うし。
でも一緒に暮らすのは無理だよ~
だってうちの実家を見れば一目瞭然、ADHD的傾向のある兄と認知症的傾向のある母のせいなのか今実家は
魔窟状態なんです。けして汚宅ではないです。兄も母もキレイ好きなので。
でもとにかくモノに溢れている。リビングに溢れる兄の哲学書とCDのバリケード。
二階は母の居住区で古色蒼然としてます。
まずこの持ち物を整理してくれない限り一緒には暮らせない。
こっちだってシンプルな生活を目指し、心を鬼にして断捨離してるんだから。

、、、父はしっかりしてるから大丈夫と信じてる。うちの旦那の父も姉の旦那の父もみなガンは
体験してるのでまあ高齢社会では避けて通れない試練かと。もちろんショックです。
もっと色々手伝わなくてはと思ってる。来年の発表会は少し様子を見てからと思っている。
今まで十分スネかじってきてるからそれなりに役に立ちたいと思ってる。
何事もそうだけど、、、強気でいなきゃだめだね。私不安症の人間だからなお思う。
怖がりだからもう十分自分のなかでシュミレーションできてるのはある意味強みなのよ。
多分現実はこれよりもう少しマシ、くらいな気持ちでいようと思えるから。
それに私たち曲がりなりにもクリスチャン。宗教って終活だからね。
そういう教えはずっとずっと受けてきた。私も姉も父も母も。



コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。