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7月が終わる前に [日常生活]

気が付くと出口の見えないトンネルのなかにいました。

(↓ウツ注意)

今の自分は客観的にみてビョーキだと思う。ウツだと思う。
もともとその傾向に陥りやすい思考回路の持ち主なので用心していたのに、気が付いたら
日常生活の中にぽっかりあいたブラックホールに落ちていました。

症状は以前から書いてるけど、地震が怖い。それ以上でもそれ以下でもないです。
毎日いつ大地震がくるかおびえて過ごしています。
自分のことが心配なのではなく、家族のことが心配で毎日離れるのが不安です。

発端はもちろん4月の熊本地震。5年前に千年に一度の災害を経験したばかりだと思っていたのに。
さらに5月から頻発している関東地方の群発地震が私の不安を増幅させています。
さらにもっとも私にとって打撃だったのは6月に発表された全国地震ハザードマップ。
千葉市85%って私全然知らなかった。県庁のお膝元の学校に子供が通学している我が家として
は聞き捨てならない情報でした。
思い返せば妊娠中、「新居の前に高圧線ある」「電磁波の健康被害」という情報で目の前が真っ暗になり、
そのことしか考えられなくなったあの時と同じ。
、、、ホルモンとかも関係してるのだろうか?更年期の症状?
要は子供が大事なんだよね。自分自身のことを含めその他のことだったらもっと冷静に考えることが
できるのに。



どうしてまわりのみんなは同じ状況でも平常心で過ごしていられるのか不思議でならない。
どうして未来のことをあれこれ語れるのか?どうして東京オリンピックと首都圏防災対策を同等に
語ることができるのか?
私はこの不安を表に出さないよう結構必死で取り繕っています。自分の恐怖が伝染しないように。
家にいるときが一番ツライ。特に朝が。みんなが出発していく朝がしんどい。
それともう食事を食べるのも料理するのもしんどい。
日中、仕事してるときはかなり平常心です。一番楽かも。バレエのときはもう少し忘れていられる。
夜は色々心に決着つけて眠りにつくのだけど、朝になるとまた同じ問題ぶりかえして。

そんな私が最近読んだ伊坂幸太郎著の「仙台ぐらし」のなかにこんなくだりがありました。

”情報は僕を救ってくれない”
”さまざまな情報が世の中には氾濫している。本当のことも多いのかもしれない。ただ、だからといって
震災以降の情報で「知っておいてよかった」と癒されるものはほとんどなかった。むしろ心がくたびれ、
陰鬱な気持ちになるものが多く、まったく情報を気にせず生活していた人と僕とでいったい何の違いが
あったかといえば、僕のほうが不安でおろおろしていたという、それだけのことではないか”
”Keep going, and keep doing what you're doing .... keep dancing”
”今やっていることをやり続けなさい。それは僕にとって、一つの真実にも思えた。自分のやっているこ
との意義や意味は分からない。罪悪感や後ろめたさもある。ただ、とにかく、今やっていることを
やり続けなさい。今踊っているダンスを踊り続けなさい”


冷静になって分析してみれば、私がこういう状況に陥ったのはスマホにしてからなんだよね。
この作者と同じく、ネットのニュース欄みてあれこれ深追いしてしまった結果なのです。
今のスマホは体感していない地震情報まで知らせてくれるというものある。
知ってしまったからには何もしないわけにいかない、という焦りが生まれるのです。
今本気で悩んでるのが息子の学校近くに引っ越しするか計画。地震のリスクが減るわけじゃないけど
帰宅困難になるリスクだけは回避できるかなって。でもそうなると私や旦那の通勤という新たな
問題も生まれ、すごく悩む。それはそれで自分を追い詰める原因ともなっていて。

そしてここは冷静に対処しなくてはと思うのです。
作者と同じく、ただおろおろして食事も喉を通らない状態は本末転倒だと思うのです。
問題が解決されるわけではないけど、”ただ、とにかく今やっていることをやり続けなさい”
”今踊っているダンスを踊り続けなさい”というのは一つの真実だと私も思う。
この状況で今月の発表会を踊り切ったというのは自分の自信にもなっている。
来月から本格化する次の発表会の練習もきっと私を救ってくれると思う。
このブログも同じ。降っても照ってても書き続けていないといけないという気持ちがあります。
そして少しずつでも平常心を取り戻したいのです。




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