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今そこにある危機 [学校生活]

生きて帰ってきた
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栃木県で記録的な豪雨になったその日、息子達6年生は修学旅行で日光へ
行っていました。


もちろんはじめから延期になってくれることを望んでいました。でも延期は
できないと学校は修学旅行を決行。確かに出発の時点ではこれほどの事態に
なるとは思っていなかった。

学校ではこういった校外学習の時は必ず保護者に経過メールを送ってくれるの
ですが、最初に来たメールは「東照宮では強い雨のなかすぐ中には入れず並んで
待った」とか「同じ市内の小学生一行に遭遇した」とか。
次のメールは「戦場ヶ原ハイキングのかわりに富広美術館へ行った」で、その後
「牧場に行くのを取りやめ、早めにホテルに向った」と。
本来は日光彫り体験があるはずだったのが、いろは坂通行止めで材料が届かず、
それもなくなったと後で聞きました。

夜に入りメールは途絶えましたが不安は募る一方。
グーグルマップで息子達の泊まっているホテルの位置を確認し、降雨状況をリアル
タイムでチェックしながら、夜中テレビを見てました。
「栃木で異常事態」「なにが起きてもおかしくない事態」という言葉にろくろく
夜も眠れず。なぜよりによってこの時なの?と現実とは思えない気持ちでした。

同時に私たちの住む千葉県でも大雨は続き、朝方4時くらいに予想通りまず下水
の逆流が始まり、それを合図に?一階住民5世帯でパジャマ姿のまますっぴんの
まま土嚢運び。2年前のあの台風以来恒例となってしまったこの土嚢運び。
おかけで一階住民のみなさんとかなり親しくなりました。一緒に発表会でトロワ
踊った彼女はうちの2軒先だったりします(汗)
家の中でもポリ袋に水を張って排水溝に置いたり、ベランダの物置の中の物
を家に入れたり庭に土嚢を積んだり、、、。強まる雨脚に頭の中はもう真っ白で
したが2年前の経験で何をすべきはわかっていたので、火事場の馬鹿力で動い
てました。、、、出勤前にはすでにドロドロヘトヘトに。

早朝ようやく現地からメールが入り、「いろは坂が開通したので日程を継続する」
というので、え?と思った私はすぐに学校へ電話。校長先生に「今の状態で行動
するのは危険なのでホテルに待機していたほうがいいのでは」と直訴しました。

その後、歩いていける範囲に住む自分が出勤しないわけにいかず職場へ。
一応無事がわかったし、家の方もやることはやったので、むしろ職場で誰かと
いたほうが気が紛れると思ったのです。トイレも下水が逆流すると使えなくなって
しまうので、どうせ利用者も来ないだろうし図書館にいたほうが安全かと。
職場に付いたい頃には再びメールが入り、「日光市内の安全が確認できないので
全ての日程をキャンセルして群馬方面から学校へ向う」とのことでした。
私の声は届いたようでようやくホッとできました。後は帰りを待てばいいのだから。
その日の勤務は幸いにもこども図書館。どうせお客さんこないのなら、ずっと立って
いなくてはいけないおとな図書館のカウンターより、座って軽作業していればいい
こども図書館のカウンターのほうが楽なのです。まずは仕事して心を静めようと
思いました。


そうこうしてるうちに「赤城高原サービスエリアです」とか「これから外環通って
到着します」「こども達はDVDにカラオケに楽しく過ごしてます」などのメールが。
お迎えは実家の親に頼みました。
お昼ごはんも取ることができなかったそうで、学校でコンビ二おにぎり一個もらったそう
です。それでも上のようなお土産とチョコレートやらおまんじゅうやらチーズケーキやら
を無駄に?買って帰ってきた息子。持たせたカメラにはバスのなかで撮ったと思われる
写真が数枚。
確かにこれを学校新聞でまとめるのもないよなとか、卒業式の呼びかけではこの修学旅行
のことをなんて言うつもりなんだろ とか色々かわいそうだなあと思いましたが、親として
はとにかく生還してきてくれただけで十分感謝でした。
だって「何が起きてもおかしくない」と言われれば最悪の事態考えるよね?

4年前の震災にしろ今回の大雨にしろ、実際に余震があったり家のまわりに水が迫ったり
という目の前にある危機と、テレビで報道される原発事故や栃木県の豪雨などの映像から
くる危機感と二重の恐怖にさらされクタクタになりました。
実害はなかったけれど、日本列島に住む宿命をつきつけられた思いです。
つうかまずこのマンション引っ越したらって話だよね、、、、

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