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この坂の上には「未来」があった [学校生活]

6年前に飛び乗った「ノアの箱舟」を卒業しました。

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卒業式、各家庭保護者は1名のみと言われたましが、中に入れなくても
いいからみんなにお別れ言いたいと思い、うちは夫婦で出かけました。
2人で歩いていくわけにもいかず、旦那とはバラバラで登校したのだけど、
なんと学校前の坂道を上ったその場所に、入学式で「〇〇さん?」って
私の名前を呼んだ彼女がいたのです。彼女はお兄さんと弟とで足掛け6年、
うちは中高で6年、同じ期間この学校に子供を通わせ、そして今日めでた
く卒業となったのでした。幼稚園からの仲なので、本当に本当に不思議な
縁です。今までの数々の奇遇を思い出し、2人で泣きそうになりました。
コロナ禍の自粛期間、どれほど他のお母さんたちと話がしたいと思ったことか。


卒業式は体育館で行われ、保護者たちは講堂でスクリーンでその様子を
見るかたちで行われました。国歌も校歌も演奏のみで、泣き所の一切ない
卒業式でした。つい先週まで合格できるのかどうかギリギリの状態でいた
わけで、親も子も別れを惜しむ余裕なんてない状況だったから仕方ないか。
それでも私は入学式や保護者会、進路説明会などの折々で、この場所で
聞いた話の数々を思い出し、感慨深かった。
「このまま何もなければ君たちは2022年の3月、ここで卒業する」
ってなんか縁起でもないって思ったけど、コロナがあったなあとか。
「今日が3年間のちょうど折り返し地点。あともう半分すごせば卒業」
と聞いて私のお弁当作りもあと半分かって思ったこととか。

密を避けるためなのか私たちが教室に入ることはなく、最後まで生徒たち
とは会えず。でもお母さんたちとは一通りお話できたので、私も旦那も
思い残すことはありません。サッカー部のママたち、PTAで一緒だった
ママたち、、話をしたのはみな中学で一緒だったお母さんたちでした。
高校は本当に別の学校という感じで親との接点はなかった。半分以上
コロナだったし。親たちが知り合う機会などなかった。
そしてここでの会話で他のみんながどの大学に行くのかが判明しました。
この学年はどうかな?ってのはあったけど、十分な成果でした。
東大は現役13人でうち5人が内部生(現時点の情報)、つまり1クラスから
1,2人は合格してる。
さら成績上位者は医学部に合格してる。一番優秀だった子でK応の特待。
その他理系の子たちはとうほく大とかとうこう大、ちば大。←私のまわりでは
だいたい一浪して行くとこ。
さらにこれは週刊誌で知ったのだけど、とうこう大、ひとつばし大の合格者数
のトップはうちの学校とやはり県内トップのF高なの。私立でも都立でもなく。
地域的にF高行った子のママたちも沢山知ってるので、やはり親が堅実なんだと
思った。お金で入れる学校でなく、きちんと一般受験で自宅から通える国立大学
選んでる。共通テスト→国立二次って受験科目も多いし、期間も長いイバラ道
=王道、正攻法で最もお金のかからない堅実な道選んでる。
なのでやはり「うちは後1年がんばります」ってママもいて、親も子も卒業式
つらかったろうなって思った。みんなが入学準備してるときに、予備校に入り
直すとか心理的にしんどいだろうと思う。私も常にその状況をシュミレーション
していた。でもきっとこの一番つらい春を通り過ぎれば通常運転できると思う。
1年なんてあっという間だと思うんだ。うちの父曰く「18の春も19に春も同じ」
だと。

こうして息子の公立中高一貫校での日々が終わりました。
この一部始終はすべてブログに書いてきたので、すべては昨日のことのように
覚えている。
はじめてこの坂の上に立ったのは7年前の学校説明会の帰り道だった。
門の外から学校の中を覗いてみたけれど、学校の全貌はうかがい知れず。
2回目に訪れたのは願書受付の時。その時は講堂まで入ることができた。
堂々としたたたずまいの講堂に圧倒された。
入学試験の朝、冷たいみぞれ交じりの雨のなか、沿道の大手進学塾関係者の声援
を受けながらこの坂道を上った時は冷水ぶっかけられた気分だった。

覚悟を決めて訪れた合格発表の日。この坂を上った校門のすぐ中にその掲示はあった。
狭き門が開かれた瞬間だった。あの時からこの6年が始まった。
自分たちには縁がないかもしれないと思っていた校舎の中に案内され、学校関係者に
迎えられ、入学手続きをした。得点開示にも行った。
制服採寸や入学説明会など、すべてが夢のようだった。
この学校の全貌を初めて目にしたのは中学の体育祭の日。高校の校庭で行われ
たため、始めて高校の敷地に入り「これぞ公立高校」「ザ・青春」(笑)と呼ぶのに
ふさわしい校舎の隅々まで見てきた(笑)
新設されて10年あまり、全校生徒240人というアットホームな私立学校風の中学に
対し、県内トップの伝統校である高校は自由な校風で本当に別の学校という雰囲気だった。
特に女子生徒はかなり派手だと私立の女子高出身の私は感じた。

学校卒業生の多大なる寄付のおかげで作られたという中学校の人口芝のサッカー場、
に対して秘境と呼ぶにふさわしいオンボロな高校のプールは息子にとっては思い出
の場所になったみたい。このプールサイドや部室で楽しい思い出沢山作ったみたい。
うんうん部活こそ学校内でのその子の属性なので重要!って昭和の根性系の部活1年
でやめた私は思う。
卒業アルバムや部活の寄せ書き見せてもらって笑えたのは、2年次息子が存続の危機
にあったラクビー部を救うためにラクビー部のユニフォーム着て試合の助っ人したこと
が武勇伝として語り継がれていること。相当感謝されたよう。
って全然女の子が絡んでないことも笑える。

ここには私が期待したとおりの先生がいて、友達がいた。
勉強するのに、青春を過ごすのにふさわしい場所だった。
楽しく学校生活が送れたことと、友達に恵まれたことに感謝。
ボストン海外研修を含めた6年間のカリキュラムを全て終了し、卒業できることに感謝。
中学時代の3年間は特に楽しかった。あの時の先生やお友達、お母さん、先輩たち、
ありがとう。合唱祭で聞いた歌声は一生の宝物[ぴかぴか(新しい)]

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