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☆春来たる☆ [学校生活]

なんと!息子、東大現役合格果たしました!
小6の時、息子に公立中高一貫校進学を薦めてくれた担任の先生には
感謝しかない[もうやだ~(悲しい顔)]

今年の大学入試は本当にイバラ道でした。
共通テスト難化に加え2月の二次試験も難化。息子は「7対3で多分無理」
と言いながら帰ってきました。
直前の本番模試でA判定を出していたこともあり、二次試験受けるまでは
東大いけるんじゃないかという気持ちがあったらしく、願書出してた私大
は受験せず、すべてを東大二次試験にかけてました。
でも二次試験が終わった時点で、数学が特に難しく、量が多くて時間内
では終わらなかったそう。息子曰く、本当に出来るやつとそうでないやつ
を選別するための試験だったそう。息子は中学入試の適性検査でも東大模試
でも国語、英語で高得点とって全体の成績を押し上げてきたので、本番も
得意の文系科目でリカバリーするつもりが、思ったように挽回できず、来年
もこんな試験だったら浪人しても無理、と早くも後期日程の大学へ心を切り
替えました。
その夜はとりあえずコロナに感染せず2日間の日程を無事終えたことのお疲
れ様会として久々の外食をしました。

後期日程で受験する大学は遠方なため下宿することも視野に入れ、後期試験
に向けて現地下見、先輩からの情報集めなど、前向きに準備を進めました。
でももちろん心は揺らいだ、やはり最終学歴となる大学は慎重に選ぶべきで
あること、東大卒とその他の大学卒では天と地ほどの違いがあること。
浪人は確かにリスクだけど、頑張って入れるものなら浪人もありかと。
とりあえず、前期日程の合格発表後、担任の先生とじっくり面接して(浪人
した卒業生の合格率とか)その辺の決断をしようということになりました。

この前期日程から合格発表までの約2週間が本当にツラかった。
まさに6年前に味わった生殺し状態、真綿でじりじりと締め付けられるような
気持ちを再び味わったのでした。しかも今回はコロナで家族3人で家に籠って
この時期を耐えました。1月はじめに予備校が閉鎖になったときはそれこそ
ハシゴを外された気持ちがした。
一番予備校の指導を仰ぎたいときに自宅学習になる不安でいっぱいだった。
これで浪人だったら絶対予備校変えようと思った。
しかもこの期間、試験問題の回答を予備校に提供するという課題があり、
その作業もほんとにつらかったよう。はっきり言って試験問題なんて
二度と見たくない心境だっただろう。やればやるほど自分が出来なかった
部分に気づいてしまい、自信喪失。でも2週間もあると最初は「無理かも」
って思っていたのが「もしかしたら?」って何パーセントかの希望に
すがりついてしまったりで、残酷な夢を見させれられてる気分だった。
6年前と同じく早くトドメを刺してくれ~って。

「もしかしたら?」と感じたのは昨年の合格体験記を読むとそのほとんど
が試験直後は落ちると思ったっていってるの。んでかなりギリギリのライン
で合格していたり、模試でもE判定だったり。そして昨年の高校の卒業生
進路一覧を見ると、毎年20人弱は東大合格していて(そして40%=約100人
は浪人)息子は恐らくその辺のラインにいるのではないかと。少なくとも
予備校の学内順位ではそのラインにいたのだよね。でも東大現役合格する層っ
てかい成とかなだとかしぶまくとかサピックス?鉄緑会?とかその辺だよね?
でも中学受験の倍率が10倍だったの比べ、2.5倍って半分は受かるんでしょ?
でも担任の先生は「毎年、この子は絶対合格するだろうという子達がいるけど
君はそのタイプではない」とはっきり釘さされてたので、やっぱり無理なの
かなあとか。そうだよね、私のまわりの男の子をもつ先輩ママたちはみ~んな
1浪して希望の大学入ってるもの。うん、きっとそれが身の丈なんだ、とか。

親としては合格発表前に湯島天神まで行ってほんとうにやることはすべてやった
という気持ちだった。試験が終わるまでレッスン自粛し、毎日新しいレオタード
眺めて過ごした。もうそろそろレッスン戻ろうかなと思っては、いやいや願掛け
は最後までやりとげなきゃってって思いなおしたり。親の行動なんて合否に
一切関係ないことくらいわかってるけど、結局最後は運かなって思ったのだ。

そして合格発表の朝は「ふつうに考えて受かってるはずはない」と冷静な気持ち
で迎えました。そして今日こそこのレオタードを来てレッスン行こうと思った。
ここまで願掛けしただから悔いなしという気持ちだった。
令和の元号発表の時も今回の合格発表の時間も私はスタジオにいました。
レッスン開始は11時45分で合格発表は正午。スマホをバーの近くに置いて
レッスン受けました。レッスンが始まった途端、私の中に流れ込んできたのは
「花が咲く」「千の風になって」「リメンバー・ミー」など震災を追悼する
音楽の数々でした、、、(涙)その日のピアニストさんのセレクションなのですが、
その瞬間私は自分の方向に風が流れていることを強く感じた。
きっと大丈夫だよって言われてる気がした(涙)そして今自分が着ているのは
まさに合格を願って自粛していたとき部屋に飾って眺めていたレオタード。
今日はこのレオタードを着るのにふさわしい日だったのでは?という予感がした。


レッスン開始後、すぐにラインがブルったのでその予感が正しかったことを悟った。
実は眼鏡がなくてスマホの受験番号判別できなかったんだけど、ダメだったらこん
な早く連絡くるわけないって思ったのです。
その後のレッスンはほとんど夢を見ているような気分で参加してました。
とうとう合格できたんだ。あの難関突破したんだ。AOでも推薦でも附属でもなく
併願も滑り止めもなく、この時期まで待った者だけが手にする栄冠を手にしたんだ。
北京オリンピックでネイサンが誰よりも難しいことをやり遂げて金メダルと獲得
したように、正攻法で一番高い壁を超えたんだ。そういう喜びを噛みしめていた。

そしてもう担任と面接したり、下宿や浪人、予備校のこと考えなくていいのだと
思い、心置きなくレッスン後も発表会の練習してきました。浪人しないって時間
もお金もすごい節約になるなって。もう受験勉強ではなく、大学の勉強できるんだって。
今の今まで浪人も下宿も覚悟だったので、その事実に喜びが込み上げた。
もちろんスタジオのみんなには誰もそんなこと話しませんでした。誰が聞いても
東大合格したなんてマウントでしかないから。先生はじめ、同じくらいの子供が
いる主婦ばかりのなかでこの話は禁句だと思った。

職場も同じです。それは中学受験の時経験してるのでわかってる。合格した翌日
出勤したら今まで話したこともない職員から「おめでとう」と声をかけられ、逆に
コワかった。やはり男の子の母親で一年前に受験してるの知ってたので。んで
今回もその子は1浪して今年希望大学に合格してること知ってるので。恐らく
こちらが言わなくてもリサーチしてるんだと思うんだ。私だって昨年、週刊誌
の速報で合格した先輩たちの名前と合格者の人数知ったのだもの。きっとこちら
がな~んも言わなくても職場もスタジオも高校の友達も先輩も小学校の同級生
たちも来週には知ってるんだと思う。東大に合格するってそういうこと。
ちなみにこの後、家に帰ってボストンで同室だった彼や中学サッカー部
で部長だった彼、中学を主席で入学した彼も東大合格したことを知りました。
すでに学内ライングループが出来上がっていたそうです(笑)

6年前に中学受験の勉強見てくれた私の父は今回は色々アドバイスをして
くれました。なぜなら父も東大目指していたから。どうしてだめだったのか
今回はじめて話してくれまたした。なんと父は受験の時期盲腸の手術を受け、
一か月間寝たきりだったそう。それでも受験したそう。でも一か月間寝ていた
ので歩くこともできなかったそう。、、、その状況を想像して、父もその母
であるおばあちゃんも本当に大変だったろうなと涙が出そうになった。
そして父は「浪人が決まったらこれ渡して」って息子宛ての手紙を随分早い
時期に私に渡したのでした(笑)いつ渡すべきかわからなくて、結局浪人
回避できたから出番はなくなったのだけど、せっかくなので息子に渡しました。
色々な偉人の言葉とともに「G.G」ってこれ父の言葉だよね(笑)
なんでこういうの私たち実の子供にはしてくれなかったのかなあって思った。
私こそ挫折多き10代だったから。コンプレックスの塊だったのに。

現役合格は無理かもって思いながらも、私が願ったことは6年前と同じこと
”この子が過ごすのにふさわしい場所と先生、友達を与えて下さい”ということ
だった。東大にこだわるつもりはなかった。東大は無理って言ってた先生に
それではどこの大学がふさわしいのですか?って聞きたかった。
後期課程で受けるつもりだった大学も十分な環境の大学だと思った。
でももし入学してから物足りないと感じたら?

おそらくネットの記事だと思うだけど、「東大生で本当に頭のいい人は一割。
あとの9割はずばぬけた馬力の持ち主」という記事がありました。
そうそう中学受験のときも「”合格する子供像”とは一言でいえば強力なエンジン
を体に備え、目的に向かい目の前にある道を切り拓いていく子供」であると読み、
この表現がすごく気に入ったのでした。自分の息子を見ていて、自分と一番違う
のはその部分だと常々感じていたから。だからこそそのエネルギーを十分に発揮
できる環境が欲しいと思った。

実は2年間一緒に教会の婦人会の仕事した会長さんが東大卒の女性で、この仕事を
引き受けるとき、少なからず彼女の体験談を聞きたいという気持ちがありました。
彼女もうちの息子が同じ学部を希望してることを知ると色々と話してくれました。
彼女は1浪の末合格したそう。1年目も2年目も東大しか受けなったツワモノで
した。しかもただでさえ女性が少ない東大で同じ学部で女性は3人だけだった
そう。その3人は今でも連絡取り合ってるとか。結婚して子供をもうけるも、
旦那様は若くして病死。その後学校の先生などして子供を育て上げたそうです。
教会にはこういう人生の大先輩が沢山います。
その彼女に息子の合格を知らせました。2年間婦人会の仕事して、今とても報
われた気持ちがしますと正直に伝えました。婦人会の最後の仕事は明日です。
息子が東大目指した2年間、一緒にお仕事して合格とともに終了することに不思
議な縁を感じています。

追記)上記の東大卒の会長さんの話ですが、後日確認したところ、女子は9人
同じクラスに4人いて、その4人と今でも交流があるそうです。

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