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幸福な魂 [猫]

先週12月4日、どーもちゃんが旅立ちました。

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段々弱っていることは感じていましたが、食欲がある限りは
大丈夫だと思っていました。
獣医さんから処方されたお薬は一日たりとも欠かさなかったし、
目が見えなくなって行動範囲も二次元に制限されてしまいましたが
嗅覚だけで庭を散歩したり、陽だまりに運んであげればそこで
日向ぼっこをしたり。その寝顔に病んでいる様子は感じられなかった。
出された餌は食べ、撫ぜてあげれば大音量でゴロゴロ言って。
朝はベットまで起こしにやってきて、帰宅すると玄関で待っていて。
なんだかんだそんな日々がずっと続くような気がしていた。
ただあれほど食欲旺盛だったどーもちゃんが夕飯に焼いたアジに
反応しなかったり(いつも大騒ぎするのに)、トイレもまわりを
汚してしまったりちょっと感覚が鈍ってきたかな~って感触は
ありました。

12月3日にブログを書いていたときは確かに足元で日向ぼっこ
していたどーもちゃん。
まさか翌日息を引き取るなんて、、、、
12月4日の朝は朝ごはんをねだりにくることもなく、ちょっと
おかしいなと思ったのでキャットフードでなくシュレッドチーズを
あげてみました。喜んで食べたのですがしばらくしてもどしてしまい、
出かけ際に見ると床におしっこの水溜りができていたので、いよいよ
かなという気はした。おかあちゃんもふみちゃんも最後は失禁して
息を引き取ったので。
その日はちょうど薬も切れる日だったので今日帰ったら獣医に連れ行こう
と思いながら、学校の読み聞かせサークルへ出かけました。

その間もどーもちゃんのことが心配でなんとなく帰るのが怖かった。
それは恐らく虫の知らせだったのだろうな。
お昼にどーもちゃんが食べられそうなキャットフードを買って帰った
きたら、玄関先にどーもちゃんがお出迎えに来なかった。
おかしいと感じて探すとどーもちゃんは台所の奥で虫の息で横たわっていました。
床には吐いた跡が何箇所かあり、体のまわりはおしっこで濡れ、どーもちゃんは
すでに冷たくなっていました。
”水は低きに流れる”という大島弓子さんの言葉が頭をよぎる。
もうこれは臨終なんだと。
どーもちゃんの目はしっかりを見開かれ、唇はまるでにゃあにゃあ鳴いている
かのように動いていました。とっさにその唇を水で濡らし、どーもちゃん
をさすってあげました。もうこうなったら動かすことはためらわれた。
獣医さんに連絡するよりも何よりもそばにいて看取ってあげようと思った。

その後すくに生命反応はなくなったので、最後の瞬間私がそばにいたことを
どーもちゃんが感じてくれたかどうかはわかりません。
どーもちゃんの臨終に立ち会えなかったことを悔やむべきなのか喜ぶべき
なのかは正直わかりません。
おかあちゃんの臨終はとても長く、つらくて途中でさよならして就寝して
しまった。でもおかあちゃんは明け方、私たちが起きてくるまで息があり、
まるでそれを待っていたかのように息を引き取ったのです。息子が3歳
になる誕生日の朝でした。
もしかしたらどーもちゃんは私が帰ってくるのを待って息を引き取ったの
かもしれない。

どーもちゃんがこうなることを半ば予期しながら外出し、しかも虫の息の
どーもちゃんを見たときこれで終わったのだと、半ばほっとする気持ちがあった。
どーもちゃんが寝たきりになったり、体が大きく変形したり、
苦しんだり、そういう姿を見ずに済んだという安堵が大きかった。
そのことを思うと自分よがりなすまなさでいっぱいになる。
臆病な飼い主の私を許して欲しい。

そういう自戒の気持ちを認めつつ、それでもきっとどーもちゃんは幸せだった
という自賛?の気持ちもあります。
所沢のゴミ捨て場を漁っていたどーもちゃん。おこじょやおかあちゃんと違って
警戒心が強く、なかなか避妊手術もできず、業を煮やした私は思い余って
保健所に電話したのです。保健所の回答は捕獲は自分でやってくれという
ことで私はなんとかどーもちゃんを網で捕獲。早速獣医に避妊手術に連れ行った
ところ妊娠中とのことで子猫の供養代まで支払うことに。でもお寺に供養して
くれるなら有難いと思い、迷わず支払いました。その代わりこの子の一生は責任
もってみようと思った。その後猫3匹連れての決死の引越し?を経て、千葉
に移り住み、遠出しては夜遅くまで帰宅せず、これが今生の別れかと何度思ったことか、、、
2年前は飲まず食わずで垂れ流し状態になり、獣医さんのお世話にもなった。
あの時のほうが今回より遥かにつらそうだったなあ、、

一度は取り留めた命。その後、2年間どーもちゃんは幸福に生を享受しました。
最後までおいしい物を食べ、陽だまりのぬくもりを味わい、外の風の臭いを嗅ぎ。
だから悔いはない。何より、最後に苦しまなかったことが救いです。
抗がん剤やらセカンドオピニオンやら色々悩んだけど、これでよかったのだと
思えます。その日の朝まで安らかだったことが。

先週まで普通に存在していた猫の不在の寂しさを今ヒシヒシと
味わっています。時間は残酷なほどの確かさで流れていく。
どーもちゃんのタオルやどーもちゃんのお皿がまだそのまま
残っているのです。でもそういった痕跡は徐々に消えていって
そのうち跡形もなくなくなってしまうのだろう。
そしてどーもちゃんの声や感触なども思い出すこともできなく
なってしまうのだろう。
でもそれは生きとし生けるものすべての宿命なわけで。
死ぬのがかわいそうだから生き物は飼わない、というのが
大半の人らしいけど、こんな臆病な私でも2匹の猫を看取ることが
できた。死を恐れることはないと教えてくれました。
死は日常の延長線上にあり、どーもちゃんはその一線を静かに
踏み越えて逝ってしまったのです。
出会いがなければ今の悲しみはなかったかもしれないけど、一緒に
過ごした楽しい思い出も残らなかった。
これもまた一期一会、そして物事には必ず終わりがある。


在りし日のどーもちゃん
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昨年の秋。朝、秋の気配のする庭にて。この写真はほんとにきれいに
撮れていてどーもちゃんの遺影となりました。

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今年の春。木登りするどーもちゃんの勇姿。

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夏。お風呂上り。

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冬。目が見えなくなっても。

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12月3日。めずらしくおこじょちゃんに世話を焼かれるどーもちゃん。
最後の写真になりました。

、、、ほんとに耳の先からしっぽの先まで「かわいい」「いとしい」を形したような存在
でした。
復活節に召されたおかあちゃんと、降臨節に召されたどーもちゃん。
その魂が安らかでありますように、、、





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