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そしてまた別れの季節 [教会]

今年のお別れは幼稚園のチャプレンであり幼児グループの主催者でもあった
教会の牧師先生の異動です。私たちには卒園よりもずーっとずーっと悲しいお別れでした。

思い返せば私たち家族には本当に縁のある先生でした。
この教会に赴任してこられる以前は夫の教会の牧師で夫の洗礼式、私達の婚約式、結婚式を
司式して下さり、ここの教会に赴任してからは姉の結婚式、息子の誕生感謝、洗礼式、卒園式と
司式してくれたのです。それ以前を遡れば中高生会のキャンプやイギリス聖地訪問などでも
一緒だったという不思議なご縁。
何よりも縁があったのは息子が二歳の時、先生ご夫妻自ら幼児グループを主催してくださり
家族ぐるみでお世話になったこと。
「教会に子供がいないのはおかしい」「礼拝は食卓であり子供も家族の一員」そういった
先生の牧師としての思想は今の少子化社会で子育てしている私達に心強いメッセージ
となりました。思い返せば私たちと教会の関係はいつもこうでした。信仰とか宗教とか
は強く意識したことなどなく、気が付けばいつも引きとめてくれる人がいて教会に
つながっていたのです。この教会とは私自身が幼稚園を卒園してからず~っとそんな
関係でした。でも結局ここでの交わりを通してダンナと出会って結婚したわけで、人生の
一大イベントは常にこの礼拝堂で執り行われてきたわけです。
今まで何人もの牧師先生たちのお世話になり、見送ってきました。
見送るたびに、その別れを惜しむ人たちを見るたびに、その先生が教会で行った”業”の
大きさを思うのです。結局は教会も人の集まりだから。牧師が提供してくれた出会いであり
居場所なのです。この幼児グループはまさに先生が残した功績だと思う。こうして最後の
歓送会には子供たちがその足元に群れていたのだから。
子育て経験のあるこの牧師夫妻が赴任してこられたことは私にとってはすごくタイムリー
だったなあって思わずにいられない。
うちの息子にとっては何よりこのグループのお友達は兄弟みたいなものだったから。
息子の人格形成に多大な影響を与えたといっても過言ではありません。
やはり子供はこうして異年齢同士で群れているのが理想的なんじゃないかと思う。
習い事ではここまで発展していかないし、幼稚園では制約あるし。
こういう環境を大切にしたいからこの集まりの行事は常に最優先でした。
ここまでひっぱって居場所作りしてくれた先生への感謝の思いもあり、体張って参加
してきたつもりです。
ダンスの先生への気持ちもこれと同じかも。共鳴するからついて行くのです。
ダンスの先生へもこの牧師先生へも直接そんな想いを話したことなどないので伝わって
いるかどうかはわかならないけど。言葉にした途端、陳腐なセリフになってしまいそうで
言えない。

この幼稚園生活は私にとっては教会生活の延長という気持ちがありました。
さんざんお世話になった教会への年貢の納め時?。最初から役員は避けて通れる
立場ではなかった。最短ルートでありながら恐らく他のママでは味わえないような中身
の濃~い幼稚園生活だったと思う。
なにせこの大奥?で3年間で一気に会長までいってしまったんですから、、。
卒園生というだけで全然そういう器じゃなかったので卒園式では相当苦労しましが、、。
次に教会をおとづれる時は息子はもうここの幼稚園の園児でもないし、牧師館には新しい
牧師先生が住んでいるのです。そしてひとつの時代が過ぎ去ったことを実感するのでしょう。
もちろん子供が卒園しても先生が変わっても幼児グループは存続するし、やはり私はOGとして
でもいいから関っていきたいと思っている。でもやはり人が変わるともとの集まりではなくなる
のだという予感もある。
だからあまり未練はもたずに前に進もうと思う。もちろん小学校も楽しみだし今度は子供は日曜学校
の生徒として教会に関ればいいと思う。私自身がそうだったように。

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