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五輪が終って、、、 [フィギュア・スケート]

男子フリー以降、本当に呆然としているうちにオリンピックは終わり、
3月がやってきて、季節は春を迎えようとしています。
ジョニーが現役続行?というニュースを聞き、ちょっと浮上してきました。
私もよそ様のブログに触発され今回の大会について書いてみました。
っていうかあまりにまとめきれず、キリがないのでこの辺でアップしました。

ジョニーファンである私にとって、興味があるのはクワド論争ではなく
PCSの方。むしろこちらの方を見直して欲しいって思う、、。
PCSは「スケーティングスキル」「音楽解釈」「トランジション」「演技力」
「振付」の5つ以外のなにものであってもいけないと思うのです。
過去の実績とか国内の序列とかぜ~んぶここに含まれてせんか??
「スケーティングスキル」ってトップ選手ですごく差があるとは思えない。
「トランジション」や「振付」は振付師の力量が大きい。
対して「音楽解釈」や「演技力」はもうその選手のセンスが一番発揮される
部分だと思うのです。その音楽のもつ世界観を4分半のなかでいかに体現できるか。
それはその選手の感性そのものだと思う。
クワドや3Aがハイリスク、ハイリターンなのは跳べる選手と跳べない選手を
差別化するためなのだと思う。転倒前提のクワドはやはりクワドじゃないわけで。
同じようにPCSもきちんとその項目にのっとって差別化して欲しいと思う。
果たしてその選手の演技がその音楽を表現しているのか?とか。

今回感じたもうひとうの問題点はその場の演技で勝負していないってこと。
それはおかしいよね?スポーツなんだから。
リンクで起こったことが全てじゃないのか?
この試合の主導権握っていたのは演技してる選手たちではなく、画面には
映ることのない匿名のジャッジたちだったような気がして。
新採点方はジャンプに比重をおかず、演技全体を各要素から評価するために
考え出された採点方だったかと思う。この採点方のおかげでバトルやジョニーの
ような表現力を武器にできる選手たちも上位にあがってこられるようになり、
このスポーツに多様性をもたらしました。トリノ組の魅力はその個性豊かな
カラーにありました。加えて実力拮抗、「誰が勝ってもおかしくない」という状況。
なのでSPはノーミスの選手が僅差でならび、フリーの演技で大技を決めた人
が勝ち残り、ミスした人から落ちていくというシビアな展開があってしかるべき
だと思う。それもまたこのスポーツの醍醐味だったはず。
でも実際はシーズン初めからの序列のまま。いやむしろ五輪ではより露骨に
点差に出ていたような気がする。それではなんのための採点方なの?って思う。

採点方っていわばその競技の定義そのものだと思うのです。
フィギュアスケートの定義とは「スポーツ」と「芸術」の融合ではないかと。
最近すごく演技の「トランジション」の部分が重視されてるのは
まさにそのためだと。「トランジション=つなぎ」の部分こそフィギュアスケートの
「競技性」と「芸術性」を融合させている部分。
音楽のなかでジャンプの要素と振付の要素が一連の流れとして行われていることが
理想なんでしょう。そういう方向性を目指しているのならクワドなしのチャンプもあり
だと思うのです。でもそれにはやはりクワドに勝るなにかがなくてはと思う。

その辺が今回感じた違和感です。
ここまでまとめるのにすご~く時間がかかりました。もともと採点方やらプロトコル
熟知してないのでメチャ主観です。何よりもうえんえんと愚痴になっちゃうのを止めるのが大変でした。
私まだ「トリノ組」を応援しているのかな?って思うとちょっと今は素直に考えられないです。
EXも見なかったし、とても彼らを祝福する気持ちにはなれなかった。
時間が全てを解決するんだろうね。どんなに不条理な結果でも。
ジョニーのドキュメンタリーを見て色々思うところもありました。
オリンピックで見たジョニーの姿はほんとに賞賛に値するものだったし。
またひとつ彼への気持ちが変わったなあって思っています。

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